10月1日は秋の満月、中秋の名月でした。
(実際には満月は10月2日の6時頃だったようです)
今年はめずらしく1日2日ともに雲のない天気で、きれいな満月を眺めることができました。
お参り先でも、お月さまの話になり皆さん眺めてくださっていたようで心がほっこりいたしました。
月かげのいたらぬ里はなけれども 眺むるひとの心にぞすむ
これは、浄土宗の宗歌にもなっている「月かげ」という歌です。
法然上人が「光明遍照 十方世界 念仏衆生 摂取不捨」の心を詠まれたものです。
月の光はあたり一面をくまなく照らしてくれます。
その月の光が届かないところはないけれども、その月を眺める人の心にこそ澄みわたっていくのですよという意味です。
ですので、昨日のお月さまを眺めて初めて「きれいだな」と感じることができますが、もし眺めていなければ月がきれいかどうかわからない、せっかくのきれいな満月のありがたさはわからないと言うことです。
これは阿弥陀さまが放たれるお慈悲の光りも同じということです。
阿弥陀様はいつも光を放ち、私たちに救いの手を差し伸べてくださっています。
その救いの光りをいただけるのは、南無阿弥陀仏とお念仏を称えた者だけなのです。
私たちは、欲のまま怒りのままに煩悩という迷いの心に振り回されながら毎日を過ごしています。
特に今年はウイルスによる不安や恐怖も重なり、心落ち着かない日も多くありました。
そんな心の状態に気づかないまま、自分本位で間違った方向に進もうとしてしまうのが私たち。
そんな私たちだからこそ、阿弥陀さまは何とか救ってやりたいといつも心配してくださっているのです。
迷いのままでも南無阿弥陀仏と称えていくことで、この煩悩を抱えた心を明るく照らしてくださいます。
そして私たちが苦しみの道を歩まないように、光を照らし正しい道へと導いていただくのです。
秋の夜に優しく温かい月の光を眺めながら、明かりの有り難さを感じた一日でした。
これからもどうぞお導きいただけますように。
南無阿弥陀仏
「中秋の名月」とは十五夜とも呼び親しまれていますが、旧暦の8月15日に出る満月のことを指しています。
旧暦では、1~3月が春、4~6月が夏、7~9月が秋となります。
不思議な感じがしますが、旧暦の8月15日は秋の真ん中にあたります。
秋の収穫に感謝する意味合いも込められています。
そのため、月や収穫物にちなんだものを食べたり、お供えしたりするのが昔からの習わしです。
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