金子みすゞさんの『星とタンポポ』という詩があります。
青いお空のそこふかく、海の小石のそのように
夜がくるまでしずんでる、昼のお星はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
ちってすがれたたんぽぽの、かわらのすきに、だァまって、
春のくるまでかくれてる、つよいその根はめにみえぬ。
見えぬけれどもあるんだよ、見えぬものでもあるんだよ。
空の星は昼間には見えないけれど、決して無いわけではなく空の奥深くにある。
そして、たんぽぽも見えないけれども力強く根っこを張って、成長している。
見えぬけれども「ちゃんとあるんだよ」ということです。
私たち仏教の信仰の世界では、見えないものに手を合わせ、見えないつながりを大切にしています。
見えないものは信じない、見えるもの証明できるものがすべてというような時代ですし、無宗教という言葉があるように神仏には頼らない、自分の力で何とかなるという人もおられると思います。
しかし、私たちは勝手に生まれて勝手に生きている命ではない、たくさんの見えるもの見えないものに支えられ生かされているということを忘れてはいけません。
目に見えぬウイルスに脅かされて、今まで普通にできていたことができなくなり、当たり前なことがいかに有り難いことかを気づかされました。
今、私たちは「目に見えぬもの」とちゃんと向き合うことが大切なのではないでしょうか?
阿弥陀さまの慈悲の光は月の光にたとえられ、いつでもどんな時でも私たちを照らしてくださっています。もちろん肉眼では見ることができませんが、タンポポが見えない根っこに支えられているように、阿弥陀さまや先立たれた方々も私たちのことを見えないところからいつも支えてくださっているのです。
そのことに気づくことができるのは、信仰の生活、お念仏の生活です。
見えない慈悲に気づいたならば、つらい時、苦しい時に、必ず心の支え、生きる力となってゆきます。
感謝の生き方ができてまいります。
この一年を振り返る時期になりました。
阿弥陀さまと向き合い、わが身と向き合い、ともにお念仏申していきましょう。
目に見えず 耳に聞こえず 手に触れず 心に触れる弥陀の御光